発達障害の子どもたちのことを健常の子どもに説明するべきか否か?

僕は説明してほしいと思うし、僕が子どもだったら説明してほしい。
一年生だろうと6年生だろうと説明の仕方はあるはずだ。

哀れみの気持ちをもって接するほうがよくないって意見もあった。

子ども達がそういう気持ちをもつことが前提ですか?

それって子ども達のことを信頼してないで大人の勝手な判断で差別してないっすか?

問題は大人の方にだってある、腫物に触るようにしてその場はしのげるが、その子たち双方が大人になった時のことを考えた時のその選択はその子達のためって言えるんだろうか?

僕は言えないと思います。

人参の物語

新しく学童に入った1年生の女の子。
「ニンジンを食べると早く走れるようになるよ」
「だから私はたくさんニンジンを食べるんだ!」
「今はちょっとだけ他の子に比べれば遅いけど、私は絶対に早くなる」

お弁当のことについて聞くと、周りの子どもの方がちょっと豪華なのを見て
「私は今日は普通弁(ってなに(笑))」
「いつもは豪華弁なの!」
精一杯の嘘だけど、それがまた「いいな~って思えるのだ」

ごっこをすると本気になって、全力で走って捕まえると本気で嬉しそう。
まっすぐな瞳で何事にも本気で取り組む姿勢、不器用だけれども、思いがまっすぐに伝わってくる。

お父さんもお母さんも厳しい人で、一緒に帰る時はいつも
ビクビクしてる。
「ちゃんと挨拶しなさい!」
って言われてるけど、ちゃんとやってるよね。

家だったらできないことでも、僕らが今いる場所では
本当の自分を出してほしいと思う。
~しなければならない。
ではなく~したいってことをしてほしい。

こういうことに感動できるのはやっぱり素晴らしいって思う。
こういう感情を味わえる仕事はなかなかないって思うのだ。

最近2年生の女の子がこう言った。
「私は雨が好き、傘がさせるから」

僕はこう思う。
「僕は雨が嫌いだ。傘をささなければならないから」

同じものを見ているが何を感じるかは自分が決めることができる。

世界は多面的であって、僕にはない世界を、僕がまだ気が付いていない認識を教えてくれる。

アドベンチャープログラム

日学童の一番トップの人間にPAの手法を使った活動を行いたいことを話して、
見事イベントをする日程を作ってもらいました!!
日程は10/12(水)14:00~16:00の時間。

何度かトップには話をしましたが、首を縦にふることはなく、このまま一年という時間が過ぎ去ると思っていました。
たぶん自分でPAJがどんなものが説明できなかったのだと思います。

PAJのワークショップに出て、自分が体験したことを話して、自分の現場の中の子どもたちの話も絡めて、どうしてもイベントを行いたいことを話しました。

PAJを知らない人に対してそのことを説明することは難しかったけれど、相手がわかるように言葉を選びながら、
「フルバリューコントラクト」「チャレンジ・バイ・チョイス」
のことに関してはあえて話しませんでした。

僕が強調して伝えたのは「グループ」という資源を使って個人を変容させていくことができる可能性があること。

今の学童の子どもたちが「コンフォートゾーン」の中にいて、中学生や環境が大きく変わってしまった時に「パニックゾーン」の中に投げ込まれてしまう可能性があること。

将来子どもたちがそういった環境にいきなり投げ込まれる前に、
安全に「ストレッチゾーン」に行きやすい活動がPAJで展開していくことが可能だということ。

具体的な子どもの名前を出して、どんな課題があるのかを具体的に出したこと。

そして一番大切だったのは、自分の熱意を相手に伝えること
でした。
ABCの活動の中の最後の活動の
大脱走

みんなに支えられたのを思い出します。

「健介はどうしたい?」
そうやって聞いてくれたことで自分に挑戦する機会を与えてくれたこと。

「あと何回挑戦したい?」
そうやって聞いてくれたことで、チャレンジする回数が決まっていることを気がつかせてくれたこと。

「クライミング」に果敢に挑戦する姿を見たことが勇気づけられたこと。

自分がクライミングでうまく「ビレイ」できなかった過去をもっていたことを打ち明けた時に気持ちを受け止めてくれたこと。

ビレイをする時に技術的にも気持ち的にも支えてくれたこと。

僕以上に自分にチャレンジする姿を見せてくれたこと。

言葉には出さなかったけれど見守ってくれたこと。

結果だけ言えば最後の「大脱走」で壁の上から手を差し出してくれた人の手を掴むことはできなかった。
だから自分で設定したチャレンジは成功には終わらなかった。

だけどそれ以上に刺激的なことが日常には溢れていることを感じています。

10月のイベントは自分で行います!
必要なことは・・・

・PAJの活動を知らない人に自分の体験を話して協力してもらう関係を築くこと。
・子どもたちの姿に合わせてプログラムをデザインすること。
・「ふりかえり」を恐れないこと。
・「チャレンジする気持ちを忘れないこと」

そんなことを大切にしていきたいと思っています。

アドベンチャーなエピソード

「最近アドベンチャーしているな~って感じるエピソード」

今働いている学童にたまに来る一年生の女の子がいて、その子は学童でうまく自分の感情や、状態を言葉で伝えることができなくて、彼女自身も困っているように見えた。

うまく言葉が話せないのは学童という場所の
「環境」のせいなのか?
それとも彼女自身の「性格、気質」なのか?

彼女が学童で言葉をうまく話せないときに
「話せるように関わっていくようにする」ということもできる。

つまり、
「どこにいっても言葉によって自分のことを
 伝えられるようにしていく」
ように関わっていくことだ。

その考えも間違っていないと思う。

その子が成長していったときに言葉によって自分の感情や、コミュニケーションを取らないといけないから。

その女の子には言葉によって自分の気持ちを伝えられるようになってほしいけれども、
でも今その目の前の女の子が学童の「環境」によって言葉が出てこないのならば、その責任は僕ら指導員にあるわけだ。

つまり、僕は彼女が言葉を話せないのは「環境」のせいという仮説をたてた。

彼女は学童に来たときから言葉が出なくて、
その日は工作のイベントがあったのだけれどもその工作に取り掛かることができずにいた。

するとそれを見た指導員の一人が話せずにいる彼女に対して
「ちゃんと話して!」と言った。
そうしたら女の子は泣き始めた。
しかしそれが「工作ができなかったこと」で泣いているのか?

指導員に
「ちゃんと話して!」
と言われたからなのかどちらかわからなかった。
15分くらい彼女に対して彼女に言葉で
「どうして泣いているの?」とか「悲しいんだね」とかいろいろ聞いてみて彼女の感情を「言語化」させようとしてみたが、うまくいかなかった。

そこで僕は「しるらないカード」を使って、彼女自身の気持ちを言葉にすることをしてみた。
そうしたら彼女の中に割としっくりくるカードを選ぶことができた。
そのカードは「キティ」のようなキャラクターで、口が無く、その顔からは表情が読み取ることはできなかったが、彼女は気持ちをそのカードによって知ることができた。

そして「それがどうなったらよい?」という問いのもとにカードを選んでもらった。
それもまた口がないキャラクターだった。

その後もいろいろなアプローチをもとに彼女が「安心」できる環境を模索した。

まあしかし、その行動は施設のリーダーとしてはふさわしくない行動だと判断されたらしく、いろいろな注意を受けた。

ちょっと前の僕であれば今回のようなことに対して「行動を起こす」ということはしなかったと思う。

それは彼女が「安心」できる環境という考えがなかったからだと思う。

「安心」できる環境が人によって違うこと。
「チャレンジ」できる環境が人によって違うこと。

僕は今いる子どもたちがいる学童が「安心」で「チャレンジ」できる環境にしたい。
そのためのステージはまだまだ先だけれども、まずは彼女が「安心」できる環境を一緒に探していきたいと思った。

続プラバン?

ある女の子の物語の続き。
今日はプラ板を作る日。
彼女は今日も作り上げるのに苦労していた。

困っている様子の彼女にこんな風に声をかけてみた。
「あなたは困っているように見える、だからあなたは困っているのかと思うのだけれども、それで合っている?」
彼女は「うん」とはっきりと答えた。
それから彼女の「困っている」ことに関して聞いてみたら、

二つ描きたいのがあったが材料は一つしかないのでどっちかに決めることができないとのことだった。
「じゃあそれぞれに点数をつけることはできる?」
というと両方とも10点満点中9点だという。
「それじゃあ決めることは難しいね」と彼女に言うと、
「だから困っているの」と答える。

そこでふと出てきたアイデア
「じゃあ先生がコインで決めてあげる。同じ点数だったらどっちでも同じだよ。」
と言ってコインを出してそれを投げる真似をしたあとに、
「本当に先生が決めていい??」
というと、彼女は片方に決めた。

時間内に彼女は作ることができなかったけれど、前とはずいぶん違う気がする。

彼女は学童から出る前までは俯いていたけれど、
ふと後ろから様子を見てみると、とても楽しそうに走って帰っていくのが見えた。

一緒にいた指導員は
「決めるのが遅いからできなかったのよ」とか
「損するのは自分でしょ、自分で決められるようにならないと」と言っていた。

僕はそこに「コンテント」と「プロセス」を見る。

彼女に「過程」に焦点を当てた時に、たった何日間の間のここまで成長するのかと思うほど感動した。
前回は工作に手を出すことができなくて、その理由を説明できなかった。
今回は「何に悩んでいるのか?」ということを自分で言葉にして伝えることができ、一つしか作れないことでどっちにしたらいいのかという事を説明し、片方に決断することができた。

ただ、工作が時間内にできなかったという「コンテント」は同じ。
彼女の走り去る姿を見た時に、「チャレンジしてるなあ~!!」と思うと同時に、
自分のやりたいことがより明確になった。
こういう事ができた時に自分はこの仕事をやってて良かったなあ~と思うわけだ。

アドベンチャープログラムを実施して

今日一日の振り返り。
13名の子どもたちと一緒に一連のアドベンチャーウェーブの流れを意識して活動を行ってみた。
自分の想像を超えて起こったのは、「ふりかえり」の時だった。
ある2年生の女の子が「楽しくなかった、それは○○ちゃんのせいだ」と言い、それに同調するように周りもみな同じようになっていった。
活動だけで終わっていれば、「楽しかった」で終わったことだったが、今回に関して言えばそうはならなかったようだ。
自分もファシリテーターとしてどんな風に関わったらいいのか迷う事例だったから、
今回に関しては強引にまとめたが、正直なところ自分の心が動揺してしまったのが本音。

ファシリテーターとして自分がプログラムも進行して、さらにグループの状況に応じてプログラムを変えていくのは非常に難しいチャレンジに感じた。

ふりかえりを行ったこと自体は後悔していないが、今回に関して言えばある特定の一人の女の子が攻撃の対象になってしまったことだ。

今日のことはまたあらためて考えてみよう。