プラバン
夏休みの振り返り。
夏休みのイベントの中でプラバンを作るイベントがあった。
その日はイベントの日だったのでいつもより子どもたちが多く来ていた。
ある4年生の女の子はプラバンを作りに来てくれていた。
そしてイベントが始まったのだけれども、僕はその子が作ったプラバンを綺麗に作り上げることができなかった。
この事だけ取り上げれば、その女の子が「頑張って作ったものを形にできなかった」
のは自分の責任だった。
彼女にとってみれば大切なものだったのだと思う。
僕は彼女以外のプラバンも焼き上げなければいけなかったのもあって、彼女に対して何か特別な配慮はしなかった。
ただその女の子が
「先生じゃない人が焼き上げればうまくいったのに」とか、
「家に帰ったら即座に捨てるはこんなやつ」
と言ったのは覚えている。
もう一つ、その女の子の友達も来ていて、同じようにプラバンを作ったのだけれども、その子が作ったプラバンはうまく作り上げることができた。
しかしその女の子はできなかった女の子の気持ちに共感しようとしたのだろうか?
「私のもうまくできてないよ、先生が作ったのだとやっぱり駄目だね」
と言っていた気がする。
他の子どもたちのプラバンを焼き上げなければいけなかったことであせっていたこともあったのだろうか?
その時の女の子同士のやりとりの中で自分の気持ちにマイナスの変化があったからだろうか?
今振り返れば。
「作ってくれた過程に関してもっと気持ちを汲み取ってあげればよかった」
「時間的には難しかったけれども、もう一度作り直す材料と時間を上げればよかった」
という選択肢が自分の中に出てきたが。
その時の僕にはそんな対応ができなかった。
それ以降女の子は学童には来ていない。
そのことが原因かもしれないし、
彼女は4年生なので他に楽しい場所を見つけたのかもしれないし、
理由はわからない。
ただそれ以降、学校で会っても僕に対する接し方は一つ壁を挟んだ形に変わった気がする。
もうひとつ、
彼女は学童に来ている時にとても他の学年の、特に下の学年の子どもたちを先導してくれるポジションにあった。
だから周りの職員の人達も彼女に頼ることが多かった。
ただ、僕からすると彼女に対しては特別な対応が多かった気がする。
例えば、職員の人以外に入ってはいけないところに彼女だけ入る、それを職員も咎めない。
共同の場所でのルール、例えば学習タイムの時に勉強するというルールを彼女だけが守らない。
自分が学童の中でチーフという立場になった時に、「場のルール」を乱す子どもたちに対してネガティブなイメージをもっていたのは事実で、僕は彼女に対しては「公平」という事に関して何回か話をしていたが、その部分に関しては納得してくれる感じでもなかった。
それがあっての今回の出来事。
起こったこと自体は
「プラバンをうまく作れなかった僕に対して彼女は不満をぶつけて、それ以降学童には来ていない」
という事実だけれども、他にも要因はあった気はする。
今振り返って考えると「残念な気持ち」という言葉しか出てこない。
今はその時「何が起こったか?」
ということを振り返っている状態。
もう少し時間がたてば「それでどうする?」
ということに思考が向く気がする。